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2016-11-23 感情を書きなぐる

日本はジェンダー指数が発展途上国並みだ。文系私立大学の存在意義がないという意見は少し行き過ぎていると思うが、まあ何となく言いたいことは分かる。

裏表のある人間が怖い。低偏差値の大学に行ってレベルの低い講義は受ける意義がないと思うがわざわざ高い学費を払ってまで国立大学に行くのも気が引ける、250万と引き換えに哲学を語れる友人が欲しいかと問われたら答えは否、そんなことに大金を使いたくない。

普通の民間企業には向いてないと思う、PCの前でこつこつと仕事をするのが理想、でもそう思うのは人間関係に疲れているからだろうか。ものを書くことが好きだからフリーのライターなどは最適だと思う。小説家に憧れた時期もあった。ただ、音楽を完全に捨てきれるかが心配だ。

しかし、私が音楽が楽しいと思ったのは先生に褒められたときだけだ。

小学生の頃から一人遊びばかりしていたから自分は一人が好きなのだと思っていたが最近心の許せる友人が一人くらいいれば相当楽になるのだと知った。

やっぱりフリーランスでネットビジネスをすることに憧れる。プログラマに憧れたときもあったが大学で学ぶほどじゃないと思った、また今から始めて本当にものになるのか、ものになったとしてそれを使う機会はあるのか考えてしまう。

今まで自分は倫理学的なことを考え続けてきたのだと思う、哲学とはまたちょっと違うらしい。



日本語を学びたいと思うのは現代文が好きだから、現代文が好きなのは努力しなくてもある程度の点数を取れるから。それはつまり現代文が好きなのではなく現代文を勉強しなくてもある程度の点数が取れてしまう自分が好きなのではないか?この考え方は音楽にも当てはまると思う。だからといってすべての事象に当てはめようとするのはすごく一面的で短絡的な考え方だと思う。

高校生のうちに将来やりたい職業を決めるなんて確かに無理だと思う。だからなるべくたくさんの可能性を残しておきたいと思うがそれと同時にやりたくもない、将来役に立つかも分からない勉強をしたいとは思わない。大人になって勉強しておけばよかったと思う人がいるというのは聞いているがそう思う理由が分からないから納得できない、そして今は将来確実に役に立つことと興味のあることしかしたくないと思う。

私が数学を好きだと思い込んでしまったのは、まず最初に自己暗示をしてしまったのと、クラスの子から頼られて嬉しかったこと、それと男性的というジェンダー観があったからだと思う。

ジェンダー学を少しだけかじってみて不快になった。日本のジェンダーがこれほどまでに遅れていると知って唖然とした。それで、外国に行きたいと思った。

日本の働きすぎな傾向がものすごく嫌だ。だから私は企業で働きたくないし、自分もそうなるなら外国で働きたい。でも永住権をとらない限り一生外国で働くのは難しいし、海外でのネットビジネスは不利らしい。

この家に住みたくない理由はたった一つ、母親と暮らすのが嫌だから。

人と関わると幸せも得られるけれど無駄も多くなる。一生人とコミュニケーションをとらずに生きていけと言われたら幸せも感じるだろうが寂しさも多々感じるだろう。気の合う人と定期的に話すのが一番良いのかもしれない。一日に数回、好きな人と話すのが幸せだと思う。深い関係になると色々面倒だから良い関係を保っていきたい。でも浅い関係の人だけだとたまに無性に寂しくなるだろうから深い関係の人も2,3人必要かもしれない。

自己主張の得意な声の大きい人たちが苦手だ。陰キャは無視と言わんばかりの態度が癪に障る。


自分が本当に好きなものは無いんじゃないか。音楽も先生に褒められるから、人から賞賛されたから、数学も人に頼られるから、哲学ももしかしたら何か別の理由があるのかもしれない。自分のことが信用できない。決めたことも出来ないしすぐに目標も変えるし何よりいつまでも人の目を気にしてそれが最優先になっている。自分が無い。ただ漠然と外国に行きたいと思っていたが外国に行って実際に何がしたいのだろう。ワーホリを絶対にしたいと思ったときもあった。オーストラリアで農業のアルバイトをしたいと思っていた。香港に格安(往復2万円程)で行けると知って絶対行きたいと思ったがそれも目的が分からない。視野を広げるなどといっても広げたことで何になるのだろう?人生経験になるといっても経験があるから何なの?それが哲学につながるのだろうか?だとしたらどうやって?


あの時、周りの子にちやほやされて嬉しかった。mちゃんと仲良くなれて、話しかけられたときはすごく嬉しかった。でもそれも今思えば所謂スクールカースト上位の子と仲良くしているという優越感に浸っていただけだろう。(ここで皆そうなのだと決め付けるのが私の悪い癖だ。私がそうだからといって皆そうだとは限らない。)


研究者になりたいと思った。大学教授になりたいと思った。でもそこまで自分が哲学を学びたいと思ってるのかも分からない。でも確実に哲学を学ぶことは人生において有意義だと思う。だけどそれは大学でしか学べないことじゃない。独学でも学べる。教授というステータスに憧れている部分もあったと思う。理系の学者になりたいと思ったのは完全にステータスに憧れていただけだ。現代文の評論にもあったが科学を信仰しすぎていたのかもしれない。

現代文の評論を読むことは大好きだ。大体いつも評論の内容を覚えているのだが皆そうなのだろうか。優越感に浸りたいだけだろうか。

いつか必ず来ると言われている関東の大地震が怖い。地震大国の日本に住んでいることすら怖い。でもだからと言って銃社会のアメリカに住みたいかと問われたら閉口してしまうし何より非現実的だ。

大学に行ったら必ず誰かとコミュニケーションをとらなければいけない。人間嫌いの私にとってそれが苦痛だ。浅い関係を築きたいと思うが上手く出来るかわからない。間違えてのめりこんだが最後、自分の大切な時間まで4年間しか付き合わない相手のために使わなければいけないなど地獄以外の何者でもない。哲学を語れる友人がほしいなら哲学科に行かなければ出来ないかといえばそんなことは無いだろう。科目履修生として哲学の講義をとってもいいし大学生の多いバイト先で働いて探しても良いし哲学のイベント(あるのか分からないが)に行っても良い。目的の大学に編入するという手だってある。たとえば大阪大学の文学部などは毎年募集を行っているようだ。

授業にどうしても意義を見出せない。来年になれば理論は増える。音楽の道に進まない者としては少し、いやかなり辛いカリキュラムだ。そんな無駄なことに時間を費やすのであればもっと有益なことをしたい。その点、大学に進学したらどうだろうか。おそらくバイトはしなければならないだろうが自分の興味のあることだけを勉強するという願望は達成できるのではないだろうか。


頭では分かっている。何が問題で、何が気に食わないのだろう。やっぱり陽キャの子に対する劣等感や嫌悪感が引っかかって逃げ出したいと考えているのだろうか。あの人から無視されたという事実を何度も思い出してしまう。そういうやつなんだと割り切ることが出来ないのは傷つき耐性がまだ無いからだろう。そう考えると今回のこの傷ついた体験は耐性をつけるのに役立っているから良かったと思う。此処に居続ければこれからも沢山傷付くだろうし何度もめげると思う、だけどそれは必ず耐性をつけるという意味で大切な経験だし、要は人間関係なんてものは慣れだから、今人間と関わる技術を身につけたほうが良いと思う。

恥ずかしくて情けなくて書けなかったことを書こうと思う。クラスの子に自分は理系だと言い、国公立理系を目指しているのだと公言しておきながら今更私立の文系に行きますなんて、ダサすぎて言えないという思いが少なからずあった。だけどそれももうやめよう。無駄だと分かったんだ。そしてこの高い学費を払ってまで大学に行きたいとは思えないから専修哲学科か国士舘倫理学専攻を狙おうと思う。だから現代文と英語は熱心に勉強する(もっとも、英語の授業は既知の内容ばかりでつまらないのだが)。他の授業は気分次第。聞かない日があったっていいと思う。

真面目に頑張ったって疲れるだけだと気がついた。この、勉強しなくても進級できてしまう環境を生かさなければ勿体無い。ただ数学だけは頼られる幸せを知ったから頑張ろうと思う。
やりたいこととやらなければいけないことをちょっと書き出してみる。


大学に行く意義とは何だろう。学費が無料な分、お金はかからなくていいと思うが時間は浪費される。でも、論文を書くという作業はその道のプロである教授から教わらないと的確にこなせないかもしれない。もしかしたら、期待はしないが哲学を語れる友人が出来るかもしれない。仮に講義が既知の内容だったりつまらなかったりしても大学生という肩書きがあるだけで様々な恩恵を享受できるだろうし、夏休みという人生の最大の休暇を生かして成長したい。もしその大学が合わなくてもなにも一生そこにいるわけではないんだ。4年間くらい我慢できる。この学校を4年間で卒業することが出来たなら耐えられるんだ。強く生きよう。サイトを構成するまでの猶予期間と捉えても良いかもしれない。今は奨学金を借りてアメリカの大学院に行くことに憧れている。

やはり中庸、メソテースの考え方は良いなあと思った。なんでもやりすぎは良くない。何事も程々が丁度良いのかもしれない。

今日は駅から出て最初の信号のところでAちゃんに話しかけた。前に話しかけたときは死ぬほど緊張したけど、一回話しかけてしまえばもうそんなことは無く、結構普通に話しかけることが出来た。その前に電車の中であの子と親しげに話しているあの子の声を聞いて独占欲が満たされない苛々を感じていたからそれが原動力になったのかもしれない。もしかしたら独占欲だけじゃなくて劣等感とか寂寥感もあったのかもしれない。友達が一人しかいないというのは其の人に依存してしまうし独占欲もどんどん出てきてしまうから良くないことかもしれない。

私なんかよりも立派だなと思う子は何人もいるし、むしろそっちのほうが多い。ただ私はああいう人の目ばかりを気にして行動する中身の無いやつが大嫌いだ。…もちろん、人のこと言えないんだけど。

まず、これからどうするか。昨日の夜決意したように、私は4年かけて此処を卒業しようと思う。父親のことも信用できなくなったから国公立には行かない。数学の授業が無かろうが、英語の授業が中1レベルだろうがどうでもいい。自力で大学に入学する。そのために大切なのがまず勉強、そして大学に入ってからのことも非常に大切だ。仮に奨学金を貰えるようになったとしても大学生活についていけないようであれば取り消されるし、そんなことになれば私は大学を中退せざるを得ない。恐らく休学という形になったとしても奨学金を貰うことは出来なくなるだろう。従って、大学入門レベルの哲学、倫理学、語学は一通り学んでいたほうがいい。もちろん理由はそれだけじゃなく、ただ単純に自分が学んでみたい、興味があるからでもある。それから高校生のうちにネットで稼ぐ技術を身に着けること、プログラミングについてまずは知ること、そして料理の技術を高めること。大学生になったらというか大人になったら、お弁当を持ち歩きたくない。今みたいに荷物が重くなるのが嫌だし毎朝作るのが面倒だし、そもそも料理という作業自体が大嫌いなのだ。なぜ、胃の中に入ってしまえばすべて一緒なものをわざわざ綺麗に切ったり見栄えの良い盛り付けをしたりしなければならないんだ。私はそういう行為が無駄だと思うし、食べてほしい人もいないから料理が時間の無駄に思えてならない。ただ老後だけが心配かなあ。閑話休題、一人暮らしになるのは決まっているんだ。始めて早々嫌にならないためにも今から克服する準備を始めておくべきじゃないのか。とりあえず五大栄養素を意識して簡単かつ効率の良いレシピを少しずつ実践していきたいと思う。もちろん平日はそんなことする時間はないしする気も起きないから土日のどちらかにしようと思う。そのためには今日、レシピを検索して自分にあったものを見つけておかなければならない。土曜日に料理をした後、感想を書いてみて、続けられそうならどのくらいの頻度で、どのくらいの品数が出来るのかを考えて計画を立てたいと思う。これも勉強と一緒だ。
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