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「変人」になりたがる人達 [アドラー心理学]

「幸せになる勇気」を一通り読んで、まず一つの疑問が解消された。

どうして皆『変人』になりたがるのか?

特に今の学校に入学してからずっと不思議に思っていた。私から見て何も変わったところの無い人間を変人だと言ったり、変人を自称したりする人間が多い、と。私が思う限り『変人』はもっとネガティブなイメージであり、軽々しく口にできるような言葉ではないという風に認識していたが、まるで褒めるようなニュアンスで誰かに変人だ、という。
いや、「褒めるような」では語弊があるかもしれない。例えば顔かたちが美しくない人に対して、思っていても『ブス』とは言わないのが普通だろう。例えそれがどんなに親しい仲で冗談混じりに言ったとしても、相手が傷つく可能性があるから。それに対して『変人』は、軽い気持ちで冗談っぽく言うことができるし、言われた相手も不快感を露にしないことが多いと感じる。それどころか喜んでいる人も多かったように思う。それが何を意味するか。

結局、普通である自分を認めたくないだけなんじゃないか。『変人』という特別な枠の中に自分を位置付けることによって、人と違う自分でありたいと思う。『変人であること』をアイデンティティにしているのだろう。もっとも、自分だって『男性が苦手であること』をアイデンティティにしていたので偉そうなことは言えないが。

「人と違うこと」に価値を置くのではなく、「わたしであること」に価値を置く

幸せになる勇気を読んで、上記の言葉が一番心に残った。そもそも誰一人として自分と全く同じ人間はいないのだから、わざわざ『自分は人と違う』と自称することは物凄く無意味なことだ。それによって優越感を得ようとするのも承認欲求に囚われている証拠なのだ。
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