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「友達」と一緒 [疑問]

最近学校で他の生徒の言動に苛立つことが多い。
自分には全く関係がなく生活にも差し障りがないにも関わらず、だ。しかもその言動は今に始まったことではない。ストレスが溜まっているのだろうか。或いはなんらかの原因で人間嫌いが酷くなったのか。

癪に障る行動を例にあげるならば、移動する際にわざわざ友達を待って一緒に喋りながらだらだらと歩く、休み時間にわざわざ椅子を動かして友達と一緒に弁当を食べる、授業中の私語(小声)や手紙交換……など、多くの高校生がやっているようなことであり、いずれも私には何の不都合ももたらさない行動である。
それなのに何故これらの行動を見ると腹が立つのか。考えられる理由は二つある。

一つ目は妬みだ。私はクラスの中に「友達」と呼べる存在は数えるほどしかない。それも非常に薄い付き合いのものだ。それと対照的に彼女らは大勢の友人に囲まれ楽しそうに笑っている。実際はどうかは知る由もないが、はたから見てとても幸せそうなのは事実である。したがって、現在お世辞にも幸せであるとは言えない自分の現状と比べてしまい、妬みという感情が生じるのではないだろうか。

そうでなければ、自尊心の裏返しだろう。私は友達という存在に価値が見出だせないし、更に言えばプリクラ、カラオケ、ショッピング等の普通の女子高校生が普通にすることを素直に楽しめない。ただ教室を移動したり弁当を食べたりするのに友達と一緒が良いという感覚も友達と喋りたいという感覚も理解できない。嘗てはそのことで悩んだが今はそんな自分を受け入れているつもりである。しかし根底には人としておかしいのではないかという疑惑があり、それを隠し通すために普通のことを素直に楽しむことが出来る人達に対するマイナスの感情を作り出し、自分を保とうとしているのだろう。

では、どうすることで解決できるのだろうか。前者が原因ならば幸せを手に入れるしか解決策は無いだろう。しかし自分にとって何が幸せなのか考える必要があるし、そもそも幸せになるということはどういうことなのかという根本的なことも理解していないので、それらに関する書物を読むべきである。

後者が原因だとすると、解決するのにかなり労力を要するように思う。まず、現時点で価値が無い、楽しめないと感じているものに興味を持とうとしても恐らく不可能だろう。人として何かがおかしいという感覚は、こうして書き出してみてから気が付いたことであるが、もしかしたらずっと思っていたことなのかもしれない。しかし何がおかしいかと問われても明確な答えは出せない。

視野を広げれば私と同じような人がいるかもしれない、いや、きっといるだろう。ただそうだとしても少数なのには変わりがなく……いや、その根拠はどこにある?大勢の高校生が「友達」と行動を共にし「友達」と遊んでいるが本当に皆それを心から望み、楽しんでいるのだろうか?答えが否だとしたら何のために?……


今回の悩みは一朝一夕で結論が出せるようなものではないらしい。もっと沢山の書物を読んで頭の中を整理してから気付いたことを書き足していきたいと思う。
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